イバショロス

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新型コロナウイルスの影響で社会は大きく変わる」と「偉い」人たちが言うのを時々ネットや新聞で見聞きする。

 

社会全体が実際どれくらい変わっているのか僕はまだ分からない。

 

僕はコロナで仕事を失ったわけでもないし、今日の暮らしさえもままならないような厳しい状況に陥ったわけでもない。

 

だから、一大学生の僕が受ける「コロナの影響」というのは微々たるものでちっぽけなものだと思う。取るに足りないと思う。

 

 

だけど、それでも、個人的につらいと感じていることがある。

 

それは、「居場所を失った」ことだ。

 

 

これまでは、たとえ実家がサイテーでサイアクであったとしても、大学やサークルなど、自分が安心して落ち着くことのできる「居場所」に逃げ込むこともできた。

 

そこで不満を吐き出したり、ストレスを発散したりと、自分の体調を整えることができた。ある意味自分らしく生きることができた。

 

 

でも、今は基本的に家にとどまることを強いられている。

 

秋学期も大学に戻ることもできず、友達とワイワイ集まることも難しい。

 

自分にとって「居場所」でもない実家にこもって、毎日「家族ごっこ」を繰り返すほかない。

 

これは簡単なことではない。

 

 

虐待を受けていたり、DVが起きているような家はさらに深刻なのだろうと思う。

 

実家の近くでも、毎日のように子どもに大声で怒鳴りつけている母親らしき人の声が聞こえてくるが、その子どもはどんな思いでその家に暮らしているのだろうか。

 

一方で、家族仲が良かったり、裕福な家に暮らす人にとって、状況はまた異なるのかもしれない。

 

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物理的にアクセスできる「居場所」がない分、SNSにその場を見出そうともした。

 

実際、モヤモヤが少しでも解消すればと何度か友達と連絡を取ったが、お互いの気持ちが通じにくい中で、それはやっぱり難しいと感じて、テキストに笑をつけてやめた。

 

結局その形態と「距離」が妨げになって、僕にとっての「居場所」には少なくともまだなっていない。

 

 

自転車に乗って外に出かけ、気を紛らわす。

 

でも、家に帰っても、家も僕も何も変わっていない。RPGの続きが待ってるだけ。

 

 

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大学って、確かに毎日通うほどのところでもないのかもしれないし、オンラインで十分なのかもしれないけど、僕にとってそれは1つの大切な「居場所」だったのだと再認識する。

 

そこには、かけがえのない友達がいて、安心してくつろげる環境がある。

 

イキって言うなら、「心理的安全性」がそこにはある。

 

いつまでこの「イバショロス」状態が続くのかは分からないし、戻った時には大学も「居場所」ではなくなっているのかもしれない。

 

 

僕はいま、ロストしている。