Be a Kangaroo

カンガルーのように、いつだって前向きに生きたい

オト

関西地方において、5月とか6月初旬というのは、「音」の季節だと思う。

 

少し暑いが、クーラーをつけるほどでもないため、どの家も窓を開けている。

 

すると、近くの住民がベランダから痰を吐く音、子供を大声で怒鳴りつける音、自販機やコンビニの光を頼りに夜遅くまでたむろする若者の音、暴走族のバイクの音など、ありとあらゆる音がノーダメージで家の中に進入してくる。

 

 

しかし、空気を介してやってくるものだけが「音」ではない。

 

例えば、スマートフォンでアプリを開くと、周波数も振幅も様々な「音」が光を介して入ってくる。

 

最近では、差別や誹謗中傷、政府に対する「音」が様々なカタチで絶え間なく生まれ、瞬く間に世界の隅々までその「音」が行き渡る。

 

 

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僕たちは自分の好みに合った音だけを受け入れ、合わないものは拒絶、もしくは距離を置こうとしてきた。

 

このポリシーは家に対する現代人の趣向に表れていると思う。

 

窓が少なく、部屋が厚い壁でしっかりと区切られ、隣の家との間に木や高い柵を設置するような家をよく見かけるようになった。

 

そこには縁側も障子で区切っただけの部屋もない。閉鎖的なボックスだ。

 

 

ゲーティッド・コミュニティもそうだ。

 

コミュニティ全体で「音」を制限し、制御する。

 

 

家やコミュニティに限らず、社会全体がそういう風になっているように感じる。

 

 

親は、「好きなものだけ食べたらいいよ」と子どもの「自主性」を尊重し、温室でぷくぷくと飼い慣らす。

 

子どもの「幸せ」を第一に考えて。

 

子どもは苦味を感じることなく、甘い蜜だけを吸って大人になる。

 

 

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僕は去年、ベトナムに2泊3日でホームステイをする機会があった。

 

その際、僕はホストファミリーとマンションの1室で暮らしていたのだが、彼らは窓だけでなく、昼間は玄関の扉もあけっぱにしていた。

 

それによって無論、他の部屋の「音」がたくさん入ってくるだけでなく、近くの部屋に住む見知らぬ子どもが突然入ってきたこともあった。

 

しかし、ホストファミリーは気にも留めなかったし、その子供が部屋に入ってきてもスルーだった。

 

 

夕食を食べた後には、外でカラオケしようと唐突に言って、僕をマンションの外のベンチに連れ出した。

 

そして持ってきたスピーカー(台車で持ってくるサイズ)で大音量で音楽を流し、歌い始めたのだ。しかもマイクで。

 

普段同じくマンションに暮らす僕にとって、この行為は「宣戦布告」だと思った。

 

マンションに住むおじさんやおばさんが窓からジロジロと睨んできたり、部屋から出てきて怒鳴り散らす、そんなシビアなシーンを想像しながら、マンションを見上げてみた。

 

 

誰一人、顔をこちらに覗かせていなかった。

 

 

ホストファミリーに大丈夫なのかと聞いてみると、

「全然大丈夫だよ」と言う。

 

 

僕も結局、「世界に一つだけの花」やベトナムで有名だといういくつかの日本の演歌をマイクで歌った。

 

 

野外大音量カラオケを終えて部屋に戻ろうとすると、遠くからもカラオケの「音」が聞こえていた。

 

 

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現代のヒト科ヒトは「音」に敏感だ。

 

自分の波長に合わない「音」を聞けばすぐに顔色を変え、遮断したり、ハッシュタグをつけ、周波数が同じ仲間を探し、気持ちの良い「音」を「シェア」する。

 

 

この社会は、「ねじれの社会」だ。

 

「音」の好みが違う人とは見ている世界が違う。ナラティヴが違う。

 

だから混じり合うことがない。ある意味ピュアだ。



 

僕たちは今、ホモジニアスな社会に生きている。